2009年06月23日

ブログの存在を


 忘れていた今日この頃。
 ようやく某氏に薦められていた森博嗣の『四季』を読み始める。まだ『冬』を読み終わっていない状態ですが、印象としては『スカイ・クロラ』シリーズに通ずるモチーフが多々見受けられます。キーワード的に並べてみると、自由(≒空、子供の世界)、鈍重(≒地、大人の世界)、人格転写、世界に二人だけetc。色々と符合が見られるので、作品背景は同根と考えて間違いないでしょう。『スカイ・クロラ』の問題が別作品で相対化されたのは私的に面白い。そして、森博嗣がこのテーマに複数作品費やすほどの拘りを持っていることが判明したのだった。

 『すべてがFになる』すら読んでない私ですが。


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Posted by ねたろう at 01:45│Comments(2)日常
この記事へのコメント
その対比には思い至らなかったです。
まぁ『スカイ・クロラ』をまだ読んでないからかも知れませんが。
子供対大人の発想は『スカイ・クロラ』の方がはっきり出てるみたいですし。

前にもちょっと書きましたが、寧ろ人間の脳の可能性論みたいな捉え方をしてました。
Posted by Tma at 2009年06月24日 17:06
『スカイ・クロラ』。
それはレシプロ機と『春』の叙述トリックを合わせた、まったく新しいうおおおおおおお。

そう、それが当初の目的だったんですよ>脳の可能性
空間・時間からの乖離が度々強調されていて、確かに完全な記憶というものが存在すればそれも有り得ると納得させられたのがハイライト。正直、『冬』での空間と時間の定位をかなぐり捨てた文章には酔いました。
Posted by ねたろう at 2009年06月24日 21:15
 
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